2003年より職員に。
メタルとサブカルと社会活動に熱い「パーティ・パーティ」管理者
コーディネーターの統括としてとにかく頑張っている水野さんです。
「重度訪問介護従業者養成研修」を受けてみないかと云われて
「パーティ・パーティ」に来る前はフリーターをしていました。
宅配便や新聞配達をしていましたがインフルエンザをこじらせて入院。
退院後、親の紹介で「重度訪問介護従業者養成研修」を受けてみないかと云われて、「パーティ・パーティ」に出向いたのが、きっかけでした。
そこで以前面識のあった理事長に「いま何してるんだ?」
事情を話すと次の週から働くことになった。
10時から17時は職場で働く障害者スタッフの介助。朝晩は介助現場の仕事となかなかハードでした。
とにかく全てが初めてだったので頑張れるだけ頑張ってました
自分のヘルパーのイメージとはお年寄りのお世話をするイメージでした。それが障害者の生活全般にがっつりかかわる。
最初はとりあえずあれもこれもと介助現場と事務所を走り回ってなかなかハードでした。とにかく全てが初めてだったので頑張れるだけ頑張ってました。
3~4年目となり、配置転換でコーディネーターとなり、利用者さんを担当。だんだん自分の意識も変わっていきました。
「パーティ・パーティ」の管理者として、利用者100名の生活にかかわっています
介助派遣「パーティ・パーティ」の管理者として、利用者100名の生活にかかわっています。主な業務として、コーディネーターの統括としてシフト調整や介助の相談を受けたりしています。
こうやって今までのことを振り返ってみましたが、自分がまさか管理者をやるとは思っていなかったです。